講座のおさらい 2

先ずは、子供がわかる、理解できる話を書く。次に、面白い話、子供が楽しめる話を書く。それを目指して書いているつもりなのに、わかりにくい、あるいは、理解はできるが、ちっとも面白くない話になってしまう。その原因は沢山あるのですが、先ずは、書く方が自分に囚われて、他者の目を意識しなくなってしまうというのが、一番多いように思います。これが面白いか?と自分に問わない。最初から面白いと決めてしまっている。
このエピソードを書きたい、とても心うたれるものが自分にはある、しかし、これには他者の興味を引く「面白さ」があるか?これだけで引っ張っていくには無理があるのではないか?では、どこで何をどうすれば「面白く」なるか?

そもそも、面白いとは何なのか?

子供はシモネタが好きです。
笑います。
面白いと言います。

シモネタの面白さはわかりやすいところにあります。そして、ほんとは日常的にはそのテの話はお行儀が悪いと禁止されているようなこと、それを堂々とネタとして、提供されるところに子供は解放を感じて爽快に思うのではないでしょうか?これ、言っちゃダメなのに、言っちゃうかあという驚きと呆れる気持ちとバカだなあと安心する気持ち。そういうものがないまぜになって、笑いとなって出てきます。

つまり、面白さというのは「生理」と結びついていなくてはならない。理屈ではないのです。滑稽の面白いだけでなく興味深いという面白いも、頭で考えたものではなく、ドンッとお腹に響くものでなくてはなりません。

どんなに理路整然とした話でも、そのどこかに生き物としての読者に響く、説明のつかない「旨味」が無いと、理路整然さが欠点になったりするのです。そこが論文との違いです。いや、優れた論文には必ず「旨味」はあるのでしょう。

ちゃんとした設計図とちゃんとなんかしようもない人間の生理、そのバランスが大切。

面白い童話を書くことは決して生易しいことでは無いのです。この分野の作者には矛盾した二つの「才覚」が要求されます。

あら、難しい!
でも、大丈夫。
私がいるから。安心してお作品お送り下さい。





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