28年前の今日は
地震のほんの少し前に、何故か自然に目が覚めました。マンションの6階は大阪とはいえ、経験したことのないような揺れでした。何だったのか窓の外がフラッシュを焚いたように光りました。布団から起きあがろうとしたら、背中を押されるように揺れて、柱にゴンと額を打ちました。食器棚が倒れた被害が一番大きく、その破片で足裏を切りましたが、痛くもなく、しばらく気が付きませんでした。
神戸が空襲を受けたように煙を上げている映像をテレビで見ました。ネットニュースなどなく、テレビとラジオだけが情報源でした。
そこから信じられないような悲惨なニュースが次々と飛び込んできました。夫は建築会社に勤めていたので、日を置かず、現地に行って、倒壊家屋、倒壊が予想される家屋の調査に向かいました。
私は暫くしてから、当時の担当編集者に「避難住宅での恋愛を書いてみないか」と言われました。私になんの被害もなく、神戸にも住んでいないのに、震災のことを書くのはとても抵抗がありましたが、しかし、これも物書きとしての仕事だと思い、恋愛も含めて、そこから三作震災物を書きました。
力及ばす、満足なものが書けたとは思いませんが、書いておいてよかったと今では思っています。
その編集者も、息子二人で助けた隣のおばあちゃんも今はもうこの世の人ではありません。
風が流すように、あの光景、あの音、あの声は掠れていきます。
それでも、私の胸に残るのは、瓦礫の中にあった一枚の白い紙、そこにはボールペンでこう書かれてありました。
人の形を解いて
全ての想いを天に返して
君は風となりぬ
これは母親を亡くした人がその亡くなった場所に書いて置かれたものと後でわかりました。
因みに、私が一番胸に響いた震災文学は村上春樹さんの「神の子供達は皆踊る」の中の一編、震災をテレビで見ていた奥さんが突如家出をしてしまう話です。
ああいう切り込み方をしたかったと今でも思います。
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