ナナカマドについて考えてみた。

昨日のご質問から、私の55号の作品でナナカマドといえば、それは魔女とはなかなかわかりにくいのでは、というご質問、その時にもお答えはしましたが、少し考えてみました。
作品を作って読者に手渡すという事の根幹に関わることでもあると思ったからです。
読者の知識と作者の認識の差、ということでもあると思いますが、作品というのはあるバランスの上に成り立つもので、この場合ナナカマドが本当は何なのかわかってない読者にも、あの女の子は何か不思議なモノであったんだなと思わせれば、成功ではないかと思います。キッチリと「魔女であったのだ」とまではいかなくても、です。もし、そこのところをキッチリさせたければ、これは編集として「注」をつければ良いと思います。小説なんかでもよくある事ですが、作中で登場人物に語らせるので無く、ナナカマドを「注」で説明すればいいんですね。そうする事で作品のバランス、雰囲気を壊さずに、正確に伝えるという部分をクリアできると思います。
例えば、あの作品の最後でナナカマドに気がついた妹が魔女との関係について語るよりは「注」がつく方が私は上等だと思います。
作者として、どこまで読者に「説明」するか、ここんところは難しい。これは最後は好みの問題で、良く理解はでき、納得はできたが、その反面余韻が無く、それがどないした?で終わるとつまらない。かといって、何のこっちゃ?になり過ぎてもダメ。
ま、それを色々考えるのが、作品を作る楽しみでもあるのですが。
いや、いい質問でした。
それを「注」で逃げる私もなかなか面白いではありませんか(笑)。ちゅー!

大内曜子の童話教室

大内曜子の童話教室 NHK大阪文化センター梅田教室で25年の歴史ある童話と絵本テキスト教室のホームページです。

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