お母さん
今日は偶然にもお母さんということについて考えさせられることが続きました。
私は息子しかいないので、孫はよそのお家の娘さんであるお嫁ちゃんが産みました、当たり前か(笑)。これはもう、ありがたいというか、ただ待ってればいいだけでした。ところが、私の母はそうではなかったんですね。わが娘が出産となると、待ってれば良いというモノではなかった、表には出さなかったけど心配した事でしょう。お母ちゃん、ありがとうね。
私の母は幼い時に実母を亡くし、「母性」というモノと無縁で子供時代を過ごしました。
19歳で大恋愛の末に父に嫁ぎ、姑に大層可愛がられて欠落していた母性と出会いました。
祖母は私の母を実の娘を育てるように育てました。大いなる母性をもって。父は一人っ子でした。
母性は血のつながりや時期に左右されるようなヤワなモノでは無いのです。
親がいなくても自分が親になることはできます。それでチャラです。
私の母は実母の母性は知らずに育った、そして、姑の母性に出会い自分が母になって、そこで全ては完結したのです。欠落は埋められたのです。
今でも私は私の祖母が母を呼ぶ声を思い出します。限りなく優しく親しい呼び声でした。
大きな愛というのはああいう響きを持つモノなのでしょう。その声を聞いて幼い私は安心して大きくなりました。
祖母も偉かった。母も素直だった。
ま、正直に言えば、祖母のステージがとてつもなく高かった、とも言えるのですが(笑)。
母を幼くして亡くした子達よ。
私がこうなのは母がいなかったからだ、と思うのはもうやめましょう。
あなたも母なら尚のこと。
全ては完結したことなのです。
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