待ち時間

何事にも「待つ」時間というのは、あるものです。電車を待つ、バスを待つ、開店時間を待つ、人が来るのを待つ。開演時間を待つ人もあり、注文した品物が届くのを待つ人もある。物が煮えるのを、果物が実るのを、病いが癒えるのを、長い時間をかけて待つ。
物語が自分の中で醸されるのを待つのも大切な創作時間ですね。ただ、手をつかねて待つだけでなく、音楽を聴いたり、俳句をひねったり、資格を取ったり、この待ち時間の過ごし方はとても大切。
今、私は「待って」います。
このコロナの時間が過ぎるのを。
耐えているのでなく、待っています。
必ず来る人を、必ず醸される物語を待つように。信じて、静かに、その時が来れば、すっくと立ち上がれる準備をして。
「ゴドーを待ちながら」という不条理劇があります。来る人は誰なのか、若い私は議論したものでした。
私の待つ人は、きっと来ます。
けれど、その時、待っていて良かったと思えるのは、この待ち時間の過ごし方次第だと思うのです。疲弊してしまってはいけない。待ちくたびれてはいけないのです。
くたびれないように待ちましょう。
私達の待つ「ゴドー」は待っていた私達の形に合わせた姿をして現れるに違いありません。

大内曜子の童話教室

大内曜子の童話教室 NHK大阪文化センター梅田教室で25年の歴史ある童話と絵本テキスト教室のホームページです。

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