この時期に
15日講座中、白板に「詩情」とブルーのマジックで書きました。
その時、「あー、こんな時に詩情を語れるなんて、とてつもなく幸せだ」と思いました。
いい場所を持てた、とも。
そして、何故か父の事を思い出しました。
父は生涯俳句に生きた人でした。
どんな時も、父と俳句は共にあって、父から俳句の気配が退いたことはありませんでした。その父が望んで得られなかったのが、講座を持つこと、でした。時代と住んでいた場所、主には、父の性格的なこともあって、結社を持つのは難しく、「チラシに俳句教えますと書いて電信柱に貼りたい」などと言ったこともありました。
それに比べ私は易々と講座を、それも大阪梅田のNHKカルチャーに持ち、三十年近く続けることができています。
こんな非才の身で、父は何と思っていることでしょう。
ただ、内外に嵐が吹いていても、「詩情」を語れる場が与えられていること、集ってくださる人達がいてくださること、そして、自分の裡に語るべき何物かがあるのを、ありがたく嬉しく思わなくては、父に顔向けができません。
笑止と言われればそれまで。
それでも、私はこれからも「詩情」について、「文学」について、「童話」について、語っていこうと思います。
「こんな時に何をしている?」と問われれば「文学しています」と答えましょう。
文学は人間として立派な人だけを受け入れるものではなく、間違いだらけの私だって暖かく優しく受け入れてくれるものなんですから。
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