憂国忌
三島由紀夫が亡くなって五十年。
いやあ、五十年とは!
私は23歳で、当時勤めていた会社の近くの喫茶店のテレビに見入っていました。
市ヶ谷駐屯地のバルコニーに立って演説している作家の言葉は、ヘリコプターの音にかき消されて、殆ど聞こえませんでしたが、「私は待った、熱烈に待った」という言葉だけは聞き取れました。正面から見るとそれらしい軍服みたいな楯の会の制服は、横から見るとチンドン屋みたいな滑稽感がありました。
見上げている自衛隊員の怒りに満ちた目が忘れられません。ちゃんと働いている、実務についている人の怒りだと思いました。
三島は鉢巻が似合わなかった。細面すぎた。
三島達が死んだ部屋は凄惨な状況で、踏み込んだ自衛官の中には何年もそのショックから立ち直れなかった人もいるとのことでした。
私がその日にしたことはあの四部作の最後の一冊を予約したことでした。
沢山の追悼番組や追悼本が出ました。
どの一編、一冊にも、私は胸を打たれなかった。登っても頂上なんかそこには無い山だと思います。
彼が憂えたのは、国なんかではなくて、自分だったんじゃないか?
三島由紀夫は悲しかったんじゃないか?
生まれてからずっと。
一度も癒される事なく。
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